Study abroad in the most diverse city Toronto

留学/教育/語学学校/大学/Studying abroad/education/language school/ESL/EAP/unicersity

言葉に気をつける。

 

私にはアカデミックな経歴はなかったから、言葉一つの誤差みたいなものは全く気にしてこなかった人生でした。日常会話は「〜的な」「〜みたいな」「〜な感じ」等大雑把に言いたいことが相手にわかれば、それで何も問題なく過ごして来たわけです。

 

 

ところがどっこい。

多様性教育に関心を持ってからというもの、言葉一つ一つが物事の解釈に相当な影響を与えていることに気が付きました。そして自分の言いたい事にピタッとハマる言葉を見つけた時は、それはもう嬉しくて嬉しくてたまらなくなるのです。

 

多様性を「受け入れる」

 

この言葉を私は今までずっと使って来ました。ひとりのマイノリティがマジョリティに迎合されるよう働きかけるという二者関係よりも、個ひとりひとりが自分らしくいて、周りとの違いを認め合う社会を作りたい。そんな思いで、上記の言葉を使っていたのですが、「受け入れる」という言葉は少し誤解を含むかもしれないなと思い始めました。

「受け入れる」:この表現には一方が上位に立ち、他方を「許す」ニュアンスが含まれています。

多様性を受け入れる、と言うと、なんとなく他文化を認めて「あげる」様にも取れてしまうのですが、文化に優劣はないという考えより本来意図している考えと少しずれてしまいます。

 

そこで最近、ああこの言葉、、、!と思えたのは「寛容」というキーワードでした。多様性に対して寛容である。

これが私の言いたかったことでもあり、生徒にも教えていきたい事です。

寛容はその場から動かないイメージ。そこに存在する何かに let them do soという感じですかね。(やはり言葉に弱い。説明が下手。)

 

とにかく「寛容さ」というのがこれからのリサーチキーワードになりそうです。

 

現在 W. Paul VogtのTolerance & Education: Learning to Live With Diversity and Differentという本を借りているのですが、これまた面白い。

Tolerance (寛容さ)とは何か?これを教えることが出来るのか?という著者の問いから始まり、定義づけを経てディスカッションに入ります。読み終わったら記録つけなきゃ!

 

話が飛びましたが、自分の言いたいことに沿う言葉を見つけるって、こんなに嬉しいことなんですね。

この喜びをもっと早くに見つけてたら、もっと読書好きな子供だったかもしれないな〜。

 

日本の校則の弊害について。

今タームのEAPの授業が今週で終わり、無事に次のレベルに進めることになりました。
振り返るとこの2ヶ月キツかったなあ。課題が終わらない恐怖とストレスでチョコレートを摂取しまくった時期もありましたが、終わってしまうとあっという間です。(体重計ないから分からないけど確実に太りました。)


私はいま「多様性教育」の概念を日本で広めたくてめにカナダに留学に来ています。私の中で、多様性教育とは、人と人、自分と相手との違いを認め、その違いを尊敬し合うことを土壌に、多面的に物事を捉える力を身に付けたり、異なる価値観を持つ他者と協働する力を身につけるという教育理念です。(これから定義付けの辺りも勉強します。)


さて、この多様性教育は「自分と相手は違う」という基盤があってこそ成り立ちます。これを日本で実践するためには、この基盤をしっかり子供に理解させるとともに、教師や周りの大人を含めて、日常生活において態度や行動で示さないといけません。


そこで思ったのが、校則の作用について。
現校則の働きは多様性教育の範囲内においては、結果として「みんな違ってみんないい」の概念と対極の位置にあり、これが子供にある種のステレオタイプを植え付けている可能性があるんじゃないかと思うんです。
付け加えると、校則で髪の長さや髪の明るさを規制することで、「日本人らしく、またはそれぞれ女の子らしく、男の子らしくいること」を強いている。更には、この容姿を規制する校則って多様性教育の観点では、もう時代にそぐわないんじゃないか、というのが私の意見です。


ブッとんだこと言ってるな〜と思うかもしれないけど、世界一多様な都市トロントにいると本当に一人一人が違うからこそ、日本の教室をみた時に子供達があまりにも同じに見えすぎてその方が少し怖いのです。


黒髪だろうが、茶髪だろうが、それはその人の選択だし。むしろ生まれつき金髪に近い人もいる世の中だし。

もっといえば、これは学校に限ったことじゃないけど、女の子はピンクや赤を好まないといけないのでしょうか。男の子はピンクを着たら、それは変な事なんでしょうか。
男の子は長髪にしたらいけないのでしょうか。女の子が短髪にしたらおかしいんでしょうか。


トロントでは女の人で意図的に刈り上げている人を沢山見ますし、高校生で長髪の男の子もいます。
多くの人がピンクデーにも参加します。(過去に、男の人がピンクを着ているのはださい・きもい→いじめに発展、ということがあったことから、男女関係なくピンクを身にまとってステレオタイプの排除といじめの撲滅を促そうという日です。)


授業で教育史を扱った際に、日本ではゆとり世代の前に学校がかなり荒れた時期があったことを習いました。
受験競争においてストレスが溜まった生徒達が「夜の校〜舎、窓ガラ〜ス、壊して回った〜〜この支配からの!卒業〜」って感じで暴れ、校内暴力が起こったり、盗んだバイクで走り出した時代があったのです。(勿論皆が皆そうだったわけではありません。笑)
でも、だから、子供達が暴れ出す雰囲気や前触れのを統制・抑制するために「髪染禁止」であったり、「派手な色の髪ゴム禁止」なんていう校則が出来たんだと思うんです。


「風紀を守るための校則である。」
尾崎豊のいた時代ならこの理由も納得できます。
しかし、グローバルな視点をもって多様な価値観を認め合うことが必要とされるこの時代に、この画一的な容姿を促す校則は果たしてプラスに作用するのでしょうか?
校則の他にも、子供達に固定された価値観を植え付けてしまっている要因は多数あると思います。制服もその一つだと思う。ジャパニーズの制服は最高に可愛いけど。


まとめると、多様性に寛容である子供を育てていくことを考えた時に、それを妨げる要因を考えてみたら、校則ってもっと変わってもいいんじゃないの?と思ったのでした。

留学って大変だよね。

 

こんにちは。

 

4月現在、7月中旬で切れるビザの延長手続きに取り掛からないと

いけないんじゃないかと焦り始めています。

 

そしてふと、半年前の留学準備大変だったなあ、情報なくて焦ったなあと思ったので、

カナダの生活・教育で自分の興味があることや気になったことをまとめるのと一緒に、

留学準備にかかる手続きについてもまとめようと思い立ちました。

これから留学に行く人やカナダのトロントに興味のある人に届けばいいなと思っています。

 

高尚な文章を書くのが苦手なので読みづらいかもしれませんが、

面白いことや目に止まったことをシェアできたらな〜と思います。

 

とりあえず今週は水曜の Final Presentation に向けて準備します。

また更新します:)

 

還元する前に。

 

今日茨城県内の大きめな中学校に授業見学に行かせて頂く機会があった。若いけど、実力のある先生の授業ということでとても楽しみにしていた。

教頭先生に連れられて授業前に校長室で挨拶をすることになった。格式のある厳かな部屋に通され、風格のある男性が回転式のいすからくるりと振り返った。その威厳は彼の目力なのか、姿勢の良さなのか、はたまた部屋の雰囲気か、もはや全てから来ていたのかもしれない。
校長先生に研究概要について話し、軽く自己紹介をした時、すかさず「留学に行って何をやりたいか」を訪ねられた。
語学学校だけでなく、大学に行って英語教育を勉強したい。「使える英語」の教え方を学び、日本で還元したい、と伝えると、還元しなくたっていいよ〜、と言われた。

え?せっかく学んだものを
他者に還元しなくていいの??
と思ったが、彼は続けて、「自分が身につけることが大事」とおっしゃっていた。

自分が身につけた物は忘れない。あとは自分の感じたことをノートにしっかりととっておくこと。僕は先生になってから2ヶ月しか海外に行ったことがない。でもその時の経験が今でも根底にある。それで授業を作ってきた。
まずは自分自身が身に付けて、時にメモに立ち返ってみて。

セキュリティーの固いこの学校の校長先生に会えたこと、更になんの肩書きもない一大学生にこんな言葉をくれるなんて思ってもいなくて、その時はただただ話を聞くことに精一杯だった。感謝。